僕の前世は木戸孝允かもしれない7
前回は木戸孝允の没年日の次の日が僕の誕生日だったというところまで書きました
正直な話し誕生日が同じだったとしても僕には何の正当性が思いついていなかった
でも木戸孝允が亡くなった次の日に僕が生まれたとなるととても府に落ちた
なぜかというと もし仮に僕が木戸孝允だったとするど誕生日の日にまたなん十年かなん百年後かにまた生まれてきたりはしない、
選択できるんだとしたら自分が死んであの世にいって死んだ日から数えてなん十年、なん百年切りよくたってから「よし、あれからちょうど○○年たったしそろそろ生まれ変わるか」っという風になるような気がするからだ
ここまでくると何か本当にその可能性がでてきたのだが、そうなるとまず気になるのはなぜ木戸孝允は死んだのかということだ