人が生きる意味を考えてみた

今日は仕事が休みで暇なので「人が生きる意味」について僕なりに考えたこと書いてみたいと思います

「人が生きる意味」を考えるなんてなんか悩みごとでもあるの?なんて思う人もいると思いますが、別に病んでるわけでわありません
心身ともに健康です

このテーマは僕がずっーと考えていたことでここ最近あらたな結論がでました

まず僕は生きる意味をしらないと自分がなぜ生きるのか
価値をみいだせないとまではいかなくても

意味がわからずに生きるってなんか嫌じゃないですか
生きる意味すなわちゴールが、わかると生きやすいですよね
っということで僕は色んな本を読みあさりました
自分で考えてもみました
でも、結局みつかりません
色んな偉人といわれる人の生きる意味を、みても結局論破できてしまうのです
偉人といわれる人でも、亡くなる間際に「なんともははかない愚かな人生だった」おっしゃる人もいて
本当に生きる目的がないんです
だからある本にはこう書いてました「生きる意味を考えすぎてはいけない」
たしかに答えがみつからないものをいくら考えても疲れるだけですよね
小説家に自殺する人が多いように感じるのもやはり仕事柄考えすぎてしまうのもあると思います

でも僕は諦めずにちょくちょくゆとりのあるときに考えていました


ぼくは考えて調べて考えぬいた結果答えは無かった


だから「ない」ならもうそれはもうなんの縛りのない「自由じゃん」と考えました
別に答えをあきらめたわけではなくこれが一番納得できたんです
ぼくは人間のいちばん大切にされるべきことは自由だと思っています
だから自分的にも、納得できました

自由 生きる意味は「自由」まさに、なんでもありです
もしこの世界に神様がいたとしたら神様は人に対してなにも目的を与えなかったつまり「自由」与えたということになります
なんとも懐の深いお方ですよね

じゃー自由だとしたら人を殺してもいいのか?
ということが自分には、すぐに浮かびました
でも自由だからそれはしょうがないですよね
なにしろ自由だから

でも、それだと殺された側の自由がなくなってしまう それはいけない
ならルールつくるしかないということが法律の原点なのかもしれません
自由なんだけれども人の自由を犯す人がいるかぎり自分たちでわざわざ自分達を、法律というもので自分たちの自由を奪う
愚かなは話しですが質の悪い自由をする人がいるかぎりはしょうがないですよね
神様も自由を与えたから裁くことはできない
裁くということは自由をうばうことになるから

なんだか矛盾しているような難しいことに…

でも自分たちで「自由」を縛っているものの
本来あるべきものは「自由」だから
本当の人間の自由
本当の姿を、目指して生きているのが今の現状なのかもしれません

相手の自由を犯さずなおかつ相手の自由に彩りを与えてあう世界


自由な世界っていうのは結構暇だとおもうんです
その暇を、いかに楽しい時間にかえるか
そうなると趣味をみつけるのが手っ取り早い
ぼくは色んな趣味をみつけるのが趣味になってます


自由=ありのまま と考えます
ありのまま これなら簡単です