僕の前世は木戸孝允かもしれない 番外編

前回最終回で出した僕の結論としてはまだ共通点が 少ないのでまだ裏付ける証拠として弱いということで終わりました
最終回で、終わりにしようと思っていたのですが

実は「僕の前世は木戸孝允かもしれない」と思ったあの日以来
木戸孝允について自分なりに調べている時期がありました

その中で木戸孝允との共通点や不思議に思うことがいくつかあったのでその話しをしたいと思います

まず、政治についてのお話しです
僕はまだ若いのですが政治が意外と好きで当時一番好きなテレビが政治番組でした

ドラマやアニメ、バラエティー番組もよく見ますが一番楽しみだったのが橋下徹さんと羽鳥さんのある政治系番組でした
今はもう終わってしまいましたが…
いい番組だったのでとても残念です

その番組をみていたときの話しですが、橋下さんが憲法について話しているとき
三権分立と二院生の話しになりました
もともと学生の頃に聞いたことはありますが
当時僕は勉強が嫌いでしたので
学んだことは頭に入れるだけで自分の心の中まで刻み込むことはしていませんでしたので
その番組で、三権分立と二院生の話しが出たとき僕はとても感銘を受けました

今の時代はすごいなと
自由と権利そして権力の暴走を防ぐための構造
今でこそ当たり前のことですがこれを作るためにものすごい権力争いがおり大変だっただろうなーっと物思いに思っていました

普段そんな思い入れをすることはないのでこの事をふと思いだしたんです

それから僕は小さい頃に刀に異常に興味をしめしていてよくお祖父さんの日本刀をだしては怒られたりしていました 刀のおもちゃも集めるのが好きでした
調べると木戸孝允もあの時代なので武道をやっていました
ただ人を刀できるという行為はいまの僕には全く理解できませんが、木戸孝允は人を切らないという流派だったそうです 安心しました
まさにるろうに剣心です…
あと最後に木戸孝允が、死ぬときに「西郷いいかげにせんか」とまで言った西郷についてですが

僕は大学時代意見発表のようなもので選ばれ全国各県の代表が集まる大会にいき山口県代表として行くことになりました
選ばれると東京に格安で行けるので頑張ったんです
ps生まれは一応長州なんです
その時に思い出に残っていることがあるのですが何故か鹿児島県の代表者が発表するときに
不謹慎なのですが不快という妬みのような感情が沸き上がってきたことがあります
変な話しなので記憶に残ってました

ただ僕は別に西郷どんに特に思うことはなくて、
連ドラもみてないし…

ただ身近に鹿児島からきた西郷という人がいたりする…

あと最後に木戸孝允には「逃げの小五郎」という不名誉な名前がついてますが…



僕的には死ぬくらいなら下らないプライドは捨てて逃げる
これにつきる

逃げるは恥だか役にたつ



僕の前世は木戸孝允かもしれない最終回

ここまでいっきに、まとめて書いたのでもう深夜の2時40分になってしまった
普段は朝早く起きて早く寝るのでこんな時間まで起きておくことはまずない
でも今日かいて置かないともう続きは書かないだろうなと思うから一気にかいている
ついでに明日は仕事は休みなのである(笑)

さておきまず前世が木戸孝允かもしれないという可能性が高くなったときまず気になるのは
どういう風に死んだかだ
実はいうと誕生日をウィキで調べるときにちょっと見てしまっていたと思うんです
なんとなーくわかってました
とりあえず暗殺とかは絶対嫌だわーとか思っていたので違って一安心

まず亡くなる理由を、書く前に今の自分について書いて置こうと思う
自分は元来頭が悪い 馬鹿なほうでわない(笑)
片頭痛に結構悩まされる酷いときは毎日あったときもあった
あと頭に腫瘍があって手術もした



だからもし自分が死ぬとしたら頭が原因だろうなーと思ったりもしている

幸い片頭痛も少なくなってきていて片頭痛の原因もある程度わかった 腫瘍の傷も今はほとんどなし

それで皆さんお察しのとおり木戸孝允の死因は原因不明の頭の病気だった


だからあらためて死因を見たときはくいぎみで「だろうね」と不謹慎ながら思ってしまった

これで終わります
みなさんは最後までみてどう思いましたか?
じつのところ僕は本当はどうなのかあまり気になってません 大切なのは今ですので

僕としての感想は全部読み返して客観的にみたときにまだ裏付ける関連性が少なくて、「そんなことはあるだろうし違うんじゃない」という感想を持ちました

自分で書いておいて恐縮ですが

ですのでフィクション小説としてみていただけたらと思います

それではみなさんおやすみなさい

後愛読ありがとうがざいました。

僕の前世は木戸孝允かもしれない7

前回は木戸孝允の没年日の次の日が僕の誕生日だったというところまで書きました

正直な話し誕生日が同じだったとしても僕には何の正当性が思いついていなかった

でも木戸孝允が亡くなった次の日に僕が生まれたとなるととても府に落ちた

なぜかというと もし仮に僕が木戸孝允だったとするど誕生日の日にまたなん十年かなん百年後かにまた生まれてきたりはしない、
選択できるんだとしたら自分が死んであの世にいって死んだ日から数えてなん十年、なん百年切りよくたってから「よし、あれからちょうど○○年たったしそろそろ生まれ変わるか」っという風になるような気がするからだ

ここまでくると何か本当にその可能性がでてきたのだが、そうなるとまず気になるのはなぜ木戸孝允は死んだのかということだ

僕の前世は木戸孝允かもしれない6

今回はあの時すぐに考えた確証を得るための方法と結果を書いてみたいと思います

その時の状況をもう一度整理すると
車の帰りみちに、「自分の前世は木戸孝允かもしれない」とびびびっと来たときすぐに僕はそれをすぐに受け入れず何か実証する方法がないか考え
すぐに、思いついた
それは誕生日 自分の生まれた日が、木戸孝允の誕生日と同じなんではないかと考えた
まったく科学的根拠はないが前世を実証するとなるともう「これしかねーわ」と思った(笑)車の運転中なのでとりあえず家に帰ってからすぐに木戸孝允の誕生日を調べた
結果は…




全然違う…
「ここまでびびっときたのにおかしいなーまぁーそんなわけないかー」
僕は我にかえったように
どうせだから一通り目を通してみた
「ふーん ほうほう」と色々かいて心のなかで相づちをうちながら物思いにみていた
おそらく最後だったと思う、木戸孝允の没年日が目に入った (お亡くなりになった日)

木戸孝允の没年日の次の日が僕の誕生日だった

僕の前世は木戸孝允かもしれない5

前回はしりとり事件のときの事を書いたのですが
実はもう1つ「僕が木戸孝允の生まれ変わり 」なんじゃないのか疑問におもった理由があります

今回はその話しについて書いてみようと思います

それは僕が23歳の冬の時期の話しです、

仕事が休みのあるときなぜか急に山登りがしたくなりました。
そんなことは今までなかったのですが体力つける為にもいいかと山登りをすることにしました

かといっていきなり高い山に登るのは危険なので
なるべく標高の低く気軽に行けるような山を携帯で探しました

そうすると山口県
兄弟山という僕の条件ぴったりの山があったのでそこに行くことにしました
結構行動的なんです…
車を走らせてやっと近くまで来てみると麓に木戸神社というのがありせっかくなのでちょっとよってみることにしました
色々見てみると文武両道の神とかかれてあり、明治の人なのに神って…
文武両道って…
自分もそれなら結構負けないぞっとなぜか対抗心をもってしまい
自分は意外とこう見えてもちょっと頭も自分でいうのもなんですが、高校、大学と主席で卒業していて運動神経もまぁまぁいいんだぞっと
見苦しいですが木戸孝允にライバル心を少し燃やしていました
そこから看板を、みてみるとどうやら今から登る兄弟山は木戸孝允の、寄付で整備された土地のようでした
ちなみに兄弟山はおとどいやまと呼びます
この地域では兄弟の事を、昔おとどいとよんでいたそうで
そこから山に登って眺めもよく標高もあまり高くないので気楽に登れるので僕のお気に入りの山となり
それから何度休みの日には行くようになっていました

とまぁこういうことがあり24歳のあの時に「自分は木戸孝允の生まれ変わりなんじゃ?」と疑問にあのとき不意に思ったのです
次回は24歳のあのとき体験した「自分の前世は木戸孝允かもしれない」について確証を得るためにすぐに思いついた方法と結果を書きたいと思います

僕の前世は木戸孝允かもしれない4

前回は「自分が木戸孝允の生まれ変わりかもしれなない」っと唐突に思った瞬間の話しのことを書きました

「でもそれなら何か確証があるはずだと」自分に反対するように心のなかで何かあるはずだと考えすぐにそれを、検証する方法を思いついたっという話しで終わりました

今回はその方法の話しの前に「えっ待てよ もしかして自分は木戸孝允の生まれ変わり?」っとあの時疑問に思った経緯を書いてみようと思います

まず、僕が高校生のときの話しなのですが、休み時間か授業中のどちらか覚えていないのですがクラスの友人となぜかあまり話したことのないクラスの女子二人の計四人でしりとりをしていました。
つっこみどころ何点かありますがそれはさておき

しりとりをしていて何周か回ったとき「か」で自分に回ってきました
その時僕はなぜか瞬時に自身満々に少し大きな声で「桂小五郎」といいました 自分の頭を通すことなくまさに反射反応的にいってしまい 自分はすぐに「やばっい なんか変なこといってしまった っていうか桂小五郎ってだれだよっ」とかなり恥ずかしくなりました
なぜなら当時桂小五郎が誰だかしらなかったからです
それから七年くらいたった24歳のあの体験までみょーに変な感覚だったので気にしてはなかったのですが、なぜか記憶にのこっていました
これがあの24歳のあの体験のときに「自分は木戸孝允の生まれ変わり?」と疑問におもったきっかけの1つです ちなみに桂小五郎木戸孝允のもう1つの名前です
あの時代は誰かに暗殺される可能性もあり
名前を変えることで別人になりかわり身を守るというためだったようです

ただあのしりとりを事件だけだとおそらくあの時僕は「自分は木戸孝允の生まれ変わり?」と疑問にもつことはなかったと思います。
実はもう1つあの時に疑問に思った理由があるのです

続きは次回で…

僕の前世は木戸孝允かもしれない3

前回の記事では前世はあるという推測に至りました

これで「僕の前世は木戸孝允かもしれない」が真実である可能性が少し増えたかもしれません
あくまで推測ですが…

今回は僕が「僕の前世は木戸孝允かもしれない」と思った瞬間の時のことを書いていこうと思います。

僕が24歳の時のことです
あれは夏の夕方だったと思うのですが
いつものように仕事から車で帰るときのことです、いつもは気分によって音楽を聞いたり、ラジオを聞いたりしてリラックスして帰るのですが、その日は特に何もかけずに帰っていました
その時ふと「明治維新の時代に生まれた人は幸せだっただろうなー」と思いました
理由は動乱の時代、激動の時代、といわれるように時代の変わり目であり江戸幕府が終わり今までとは違う生活文化が外国から入ってくる時であり
新しい時代への期待と不安、
まさにピリピリとした時代だと思うからです。
自分の力量や感情を思い切りだすことが許される解放感ある時代、そんなところにその瞬間魅力を感じていました
その時でした「えっちょっと、待てよ もしかして今まであっけた体験からして自分って木戸孝允の生まれ変わり?」っと唐突に思った瞬間体がビクッとして鳥肌がたちなんとも言えない感覚を味わいました まさにインスピレーションというような不思議な感覚でした。それまでは木戸孝允について特別な感情はもったことがなく、まさにあかの他人という感じでした
だから余計に自分でも驚きました

でも僕はすぐに自分に反論するかのように冷静に
それなら何か確証があるはずだと思いすぐにある考えが浮かんできました…


続きは次回です